こうた(ニックネーム)と申します。
ひょんな思いつきから、ブログを始めることにしました。
「何を書こうか」
一度チャレンジしたことがあったのですが、なんとなく辞めてしまい、それっきりに。
「毎日書くこと」が重荷になってしまったのだと思います。
そんな反省を踏まえて、気楽に始めて行きたいと思います。
自己紹介
最初の人生〜 会社員時代
大学卒業後、「建築・不動産系」大手上場企業に就職。(三菱地所を見に行こうの会社です)
私は設計職で、20代で一級建築士免許を取得し、いろんな建物を設計させてもらいました。
保養所、工場、学校、幼稚園、放送局、商業施設、超高層ビル、、、
在籍中に計画した建物は100以上、実際に建った建物は20ぐらいだと思います。
そうこうしているうちに、月日は流れ・・・
設計チーフ職という、少しえらいポジションを頂くようになり・・・
喜んでいたのもつかの間
「○○さんがいじめるんです」
「○○さんがセクハラだと思います」
「○○さんパワハラだよ」
などなど、気がついたら設計以外のことに時間を費やさせる毎日を過ごしていました。
もう、この会社でやることはやったな・・・
そんな思いがよぎり、嬉しくない忙しさも相まって
円満退社した次第です。
第二の人生〜 フリーターから事業主へ
会社を辞めて最初にしたことは、「友だちと遊ぶこと」でした。
私が住んでいる場所は東京浅草。
観光地、下町などなどいろいろ思い浮かびますが、
別の言い方すると
「会社員が少ない→自営業が多い→平日に遊ぶ(ゴルフ)」
なんて流れができていて、
それがちょっとばかり羨ましくて・・・
そんな「平日・昼遊び」に参加したのを覚えています。
最初のうちは「楽しかった」
でも、だんだんと「つまらなくなった」
きっと、
「忙しいから、楽しい」なんですね。
頭ではわかっていたことですが、本当に実感として気付かされた時期でした。
そんなこんなで、
私の唯一の特技である「建築設計」の能力と資格を活かし、
「一級建築士事務所」を開設します。
私の周りにいてくれた仲間たちは建築系職人も多く、
仕事をくれたり、仕事を頼んだり、
本当に力になってくれました。
今思い返すと、
当時はやっぱり「大きな会社で勤めていた人」の感じで仕事をしていたと思います。
とっても嫌な感じ。
自分にはその意識がなくても、やっぱり空気が違っていただろうなと強く感じます。
でも、
みんな付き合ってくれました。
自分自身はモノを作るのが好きだったし、「現場」に憧れていたし、職人になりたかったんです。
見よう見まねでいろいろしました。
店舗の図面を自分で書いて、オーナーに説明し、現場に入って監督しながら、職人の手伝いをする。その傍ら建売住宅の図面作成で日銭を稼ぐなんていう暮らしをしていたんです。
これでいいのか???
なんて、微塵も考えず、走っていたんですね。
でも、この時期があってよかったんですね。
当時の食事は、時間もお金もなくて、近くにあった「松屋」の豚丼ばかりでした。
設計事務所からコンサルタントへ
つっぱしっていると、いろいろな人が声をかけてきてくれます。
そんな中に、
「ビルの営繕を手伝ってくれないか」
というお話が。
建築現場を抱えつつ、楽しい反面、
「自分は現場じゃないな」
と少しづつ気づいていた頃でした。
「ぜひ!」
仕事内容などあまり詳しく聞くこともせず、OKしてしまいました。
声をかけてくれた方は、サラリーマン時代に一緒に仕事をしていた上司で、
私の能力は十分承知しているはず。だから大丈夫。
そんな感じです。
このビルの営繕仕事は、今も続いています。(かれこれ10年近く・・・ありがたい)
自分にとって当たり前のことが、
意外に知られていないし、できていない。
良かれと思ってやっていることが、建物の劣化スピードを速めている。いじめている。
衝撃の事実でした。
そんなとき、会社を辞め、独立するときに考えたことを思い出したんです。
「自分が知っている知識を、知りたい人に届けたい」
こんな想いがちょっとばかりあったんです。 こんなことを考えながら、「建物営繕」という仕事を続けていきました。